宮崎館長とは?

北海道 札幌空手

両親が教員で父親が中学校の校長を務めるほどの固い家庭環境に育つ。

兄の影響で空手を始める。中学の時に伝統派(寸止め)の空手を学び、高校時代は極真会館(直接打撃制)に所属し、高校の空手部の主将を務める。

高校卒業後は、あの格闘技イベントK-1創設者の正道会館石井館長の魅力に惹かれ本格的に空手を再開し、東海大学に正道会館空手部を新設、初代空手部主将を務める。

北海道大会では常に上位に入賞、168㎝60㌔(当時は)という小柄な体格ながら技術力には定評があり、一回りも二回りも大きな選手を倒していく姿に、そのころ北海道チャンピオンであった兄と共に宮崎兄弟の名前を有名にしました。

カラテワールドカップ(世界大会)北海道代表として選出され単身1人で大阪に乗り込む。(優勝/佐竹雅昭選手、準優勝/アンディーフグ)惜しくも後年K-1で活躍することになる子安選手に判定負けを喫する。

26歳の時に、正道会館総本部より依頼があり正道会館北海道支部長となり、正道会館北海道本部を設立。現役選手を引退。これから育ってくる若い世代育成に力を入れる。(空手で食べて行ける経営システムの構築に専念)以後、空手の経営面でメキメキと頭角を現す。ニューヨークやタイ国にもネットワークを広げ、国内では北海道と仙台を中心に活動し正道会館北海道本部と正道会館仙台の基盤を作りあげる。

そして道内最大級の1000人規模の道場を作り上げ、正道会館フランチャイズ道場の中でダントツ日本一の道場規模となる!!

33歳で石井館長の側近として正道会館総本部館長代行補佐を務め、正道会館総本部幹部役員にも選出される。その年、正道会館総本部より東北以北最高段位の3段を授与される。

石井館長不在の2005年、37歳の時に総本部との意見の相違で19年間所属していた正道会館を脱退(破門扱い)する。
既存の1000人近い会員さんを全員、正道会館総本部へ戻す。

そして同じ年の2005年5月に、全てをリセットし大阪の恩師加藤最高顧問と南最高相談役に大誠舘と命名していただき空手道大誠舘を設立。当初2名からのスタートでしたが口コミで広がり、たったの1年で230人の新規のお子さん達が集まってくれました。(その2名というのが大誠舘のエース森兄弟です)

そして、いつからか子供空手のカリスマ先生とまで言われるようになりTVでも特集を組まれるまでになりました。
2017年4月正道会館に石井館長が復帰され私の破門も取り消されました。